COLUMN明治時代―洋装になったことと、欧州への工芸品の輸出
工芸品の質の高さは息の飲むような細密な繊細な日本文化の芸術品ばかりだ。
私が手掛けている男性服飾雑貨アクセサリーは、洋装、洋服用の物であり、日本での洋装の始まりの明治時代にまさに使われていた形状であったことを、書籍を紐解いた中に発見した。海外イギリスやフランスの男性服飾雑貨アクセサリーに、1880年前後からの、ジャポニズムがあり、日本の絵柄や図案、鳥や花、日本的モチーフが、工芸品、アクセサリーなどが多いに取り入れたのが明治時代だ。
明治時代は、1868〜1912年であり、その間に、世界の工芸品博覧会に出品をしていたことから、日本の工芸品の技、技術の細密性と芸術性が高く評価され、工芸品の輸出されている時代であった。
明治政府が最初に参加した万国博覧会は、明治6年(1873年)ウィーン万博。特に、明治26年(1893年)シカゴ万博、明治33年(1900年)パリ万博の参加が素晴らしいものだった。 ここから、『すぐわかる日本の装身具 飾りと装いの文化史 露木 宏監修・執筆 宮坂敦子執筆』より引用をさせて頂く。
第7章 男性の装身具
歴史を遡ってみても、日本の男性は装いの美意識が非常に高い。江戸時代には幕府からたびたび発せられる贅沢禁止令をかいくぐり、実用を兼ねた装身具で巧みに粋を表現した。武士の間で印籠が流行すれば、町人は負けじと煙草入れやキセルに贅を凝らし武士と張り合った。
そうしたセンスは洋服の着用が普及した近代にも引き継がれる。紳士(ジェントルマン)と呼ばれ、身なりに気を配る男性たちは、明治時代には懐中時計や時計鎖などの付属品を、さらに、大正時代になるとネクタイピンやカフスボタン、ベルトバックルなどで身を整えた。
『すぐわかる日本の装身具 飾りと装いの文化史 露木 宏監修・執筆 宮坂敦子執筆』
この男性装身具について、引用させて頂いた文章は、日本の男性への敬意と称賛、また、現代の日本の男性へのもっと粋なおしゃれを楽しんでいいんだよというメッセージとも、私は思う。
前述の、万国博覧会に出展された日本の工芸品は、図案や工芸品の写真を見ると、日本人であることを誇りに思えるものばかりだ。自分が日本人であることを誇りに思える、明治時代の勢いを、思い出させる男性服飾雑貨アクセサリーを作りたいという思いが沸いた。自分のアイデンティティをアクセサリーを通じて、感じて欲しいと思った。そういうアクセサリーを作りたいと思った次第だ。 明治時代のものを継承するような復刻のようなアクセサリーを作りたい。