COLUMN今度は、何故、私は男性の服飾雑貨に惹かれていたか?

調べてみると、今度は、何故、私は男性の服飾雑貨に惹かれていたか?という理由がつかめた。

明治時代は、生き生きとしており、男性の服装は、政府など要職の方の服装は、形式を重んじていた和装の正装から、洋装の正装へと変化した。一般的な服装でなく、正式な服装においては、男性の服装は決められており、今の神社の神主さんの服装や紋付袴などが、洋装前の正式な服装だった。

欧州の洋装、フロックコート、スーツ、シャツなどが日本に入ってきて、それらが男性の洋装の正装として取り入れられた。

この洋装へ転換する時期には、和装と洋装が混じり、また洋装が現在よりも、キチンとした洋装のセオリーを組み入れた、凛とした姿であった。現代にその洋装の姿が復活して欲しいと思うのは、私だけだろうか。

男性の洋装の服装には、決まった形式があり、型がある。

ヨーロッパの中世の服装、軍服を略していたり、その形を残している部分というのが、そもそもの男性の洋装の服装の形式、型だそうだ。分かり易いのは、トレンチコートの肩の部分の返しの部分や、スーツのジャケットのラペルのボタンホールなどだ。あのボタンホールは、ピンを指すためのものではなく、ボタン留めして、首を覆うためのものだそうだ。軍服からの名残りだそう。

スーツやシャツ一つ取ってみても、3つボタンは真ん中だけ留める、2つボタンは上だけ留めるとか、シャツは指一本分袖から出るようにとか、ネクタイは長さによってシングルノット、ダブルノット、シャツの襟の種類、コートの種類、靴、バック、時計、チーフなどの脇を固めるアイテム達と、決まった形式や型が、トラディショナルで、自分のコレクションを年々増やしていける楽しみがあり、着る、身に着けるたしなみ、粋、だてがある。

明治の時代には、ハイカラという言葉が出来た。

そんな、たしなみ、粋、だて、ハイカラに、私は、畏敬と、伝統を続けられる男性服を着ている男性が羨ましく思っているのだと気づいた。

女性の私には、感じられる畏敬、伝統への思いを持って、服を着ることが出来ないような気がするからだ。 男性服飾雑貨に携わることによって、私もその世界感に浸れる思いから、私は始めたことに気付いた。